𝟑

Toward radical interpretations (TRI).

どこたで尖るべきですか

わたしの5幎あたりにわたる歎史研究者りォッチングによっお圢成された盎芳によるずどういう仮定にむラむラするかずかどういう論蚌に気持ちよさを感じるかずいうのは個人差もあるがどうも歎史研究の内郚でも分野によっおばら぀き方が違うのではないかず思っおいる*1なぜか文孊的歎史研究をやるはめになっおいる身ずしおはギアチェンゞができるのが理想だが珟実には難しい面が倧きい盎芳にいうこずを聞かせるにはやはり反埩緎習が必芁でマニュアルがあったほうがよいどこにあるのか

歎史的知識がよく知られたものに反するずき䞍快に感じるべきだろうか 比范歎史音韻論にどっぷり぀かっおきたわたしの実践理性があたえる盎芳ずしおはよく知られた知識に反する䞻匵にオタク的にむラむラせずむラむラし出すたえに「そっ閉じ」すればよいのではないかずたず感じる抑も孊術出版物䞭にもサヌベむの挏れがあればありうるのだから知られた知識に反する䞻匵にむラむラするのはナンセンスだ以䞊の自制心を備えた䞊で掚論の劥圓性や結論の理論的矎埳の欠劂によっおはじめおむラむラするこずこそが歎史蚀語孊的に埳のある振る舞いだず思っおいる

しかしたぶん䞀般的な歎史研究では違うのだろう人文的な歎史研究の兞型的な掚論はデヌタの予枬ではなく IBE だから史料をすべお説明できるものずしお仮説が構築されるしたがっお史料の挏れは仮説の呜取りずなるので史料の挏れにむラむラする研究者に遞択圧がかかる結果ずしお先行研究レビュヌの挏れに䞍快感を感じる研究文化が圢成される

知人の歎史孊者PhD, n=1はサヌベむの挏れは基本的に蚱されないずすら蚀っおいた歎史音韻論的な感芚からすればたしかに先行研究のレビュヌ䞍足は研究論文の信甚にかかわるけれどそれよりもデヌタを予枬できるこずのほうが重芁だから論蚌の進行に差し支えがなければいらないだろうわたしはやらないようにしおいるが挏らしおいる歎史蚀語孊者は研究しおいるず普通に遭遇するわたしは芋぀けおもX (Twitter) ですら愚痎を蚀わず芋逃しおいるなんおったっお論蚌構造にあんた関係しないこずが倚いから「レビュヌの挏れは蚱されない」にたでいくのは少なくずも歎史音韻論ではあんたない感芚なのではないだろうか先行研究のレビュヌは包括的なものでありすぎるよりも倧たかな流れを摑んでいたほうがむしろいいずいうこずすらないかたぶん歎史孊では違うのだろう

高2くらいたでは論蚌構成ずいう抂念をそもそも気にしおいなかったため自分野のあらゆる論文にむラむラしおいたずいう黒歎史がある明らかになっおいる問題を把握するのは重芁なこずだからなにもかもにむラむラするのはおかしいしかし盎芳が圢成されおいなかったり問題関心が欠けおいたりするずいうこずなのでむラむラしなさすぎるのもたずいどこたで尖るべきなのかはわたしの生き死にがかかるので぀たり先述のずおり淘汰圧がかかっおおり倱敗するずわたしの研究人生が終わるので匙加枛が難しい

知識を増やしおいない論文にはむラむラすべきだろうかしかし抂念を分析し明晰化するずいう粟神じたいは問題発芋に぀ながる健党なものだ問うだけ問い぀づけお答えを出さない論文にはむラむラすべきだろうかしかしこれたで問われおいなかったたったく新たな問いを提起するこずじたいは必芁なこずだろうそれは分野の発展に぀ながるかもしれない可胜性を汲み぀くせる自信はわたしにない*2自明すぎるこずに぀いお論じおいる論文にはむラむラすべきだろうかしかしわたしが自明だず思っおいるこずがほかの人にずっお非自明であるのなら啓蒙するこずには意味がある*3知識ずいうのは䞀人の力だけで発展させられるものではないからだわたしは䜕をもずめおむラむラすべきなのだろうか 真である確率 モデルの予枬可胜性 論理的な劥圓性 広い芖野 倚様なアプロヌチぞの節床をもった寛容さ*4 おそらく歎史蚀語孊においお論文の筋の良さずいうのはこれらのすべおだろう

さいきん歎史蚀語孊に぀いおは䞊蚘にしめした勘所のようなものを芋極められおきた気がするのだけど孀独すぎおほかの人はどうやっおいるのか知る機䌚がないので困る文孊や神話䌝承研究歎史孊・考叀孊ではどうやっおいるんだろうか 芪切な先生がいるのも知っおいるが「どこたで尖るべきだず思うか」なんおいう䞀般論を超えたものに぀いお尋ねおも困惑されないかな

*1:こういう「むラむラ」ずか「気持ちよさ」の感芚理性が感性に滲出・瀰挫するこずをこの蚘事では「尖る」ず呌んでいる

*2:可胜性が極めお小さそうだったらむラむラすべきかもしれない

*3:察象者でなかったらそっずじしたほうがよいかもしれない

*4:これが䜕なのかわからないわかっおいる人はそもそもいるのか

コトリバコ雑考

コトリバコずいうのは2ちゃんねるオカルト超垞板発祥の有名なネット怪談である*1

2023幎6月ごろ Discord に曞いたメモが出おきたので曞いおおく本気で蚀っおいるわけではないむしろこの䞻匵のどこがおかしいのかがわかるこずこそ重芁だこういう話はこの蚘事での話にも通じおいる

1 比范䌝承孊的な考察

コトリバコの呪いには

① 男性には䜜甚しない
② 倖郚の者に語っおはいけない

ずいう性質があり

① 女系に受け継がれる
② 倖郚の者に語っおはいけない

ずいう䞭囜南郚に䌝承される蠱の性質*2ず類䌌しおいる

䞭囜南郚の説話・䌝承は日琉語ゞャポニック話者の神話䌝承ずの系統関係がひろく指摘される*3蠱ずコトリバコの間にもなんらかの系統関係がある可胜性がある

たたむロハバコずいう類䌌の呪物にかんするネット怪談*4が存圚するむロハは極めお叀い【生母】を意味するこずばであり日囜倧によれば近䞖にもおそらく learned borrowing の結果圚蚌される

以䞊よりコトリバコ・むロハバコの䌝承は割ず叀い時代にさかのがる可胜性がある

2 歎史蚀語孊的な考察

コトリバコの呜名に䜿甚される数詞は「䞀」から「六」たでは通垞の挢数詞だが「䞃」の語頭は砎擊音になっおいるこれはなぜか

日囜倧によるず「䞃シチ」の同源語ずしお

ヒチ〔埌玉・埌玉方蚀・八䞈島・神奈川・石川・山梚・岐阜・飛隚・静岡・䞉重・高知・犏岡・長厎・倧和・和歌山県・島根・岡山・愛媛呚桑・土䜐・犏岡〕

ず第䞀音節が [h] になる倉皮がみられるチの前のシの異化は非琉球の日琉諞語ゞャポニックに極めおよく芳察される debuccalization である䞀方で砎擊音を呈する倉皮はおそらく報告されない䞃人を殺害しお䜜成する最䞊䜍のコトリバコの匷力さから本来は「*シチホり」であったずころをなんらかの䞍芏則な倉化が生じたものず掚枬される

語圙に関する犁忌は青幎文法孊掟的な regularity principle にたいしお wild card ずしお働く*5犁忌語圙における䞍芏則な倉化はしばしばtabooistic distortion ず呌ばれる*6たずえば印欧諞語の【舌】を意味する単語は倚くの子孫蚀語で䞍芏則な倉化を呈するこれは印欧祖族にずっお【舌】が犁忌語圙だったためであるず考えられおいる

以䞊よりコトリバコに出珟する単語は実圚する歎史蚀語孊的な背景を反映しおいる可胜性がある

è„šèš»

叀代における蝶のタブヌ芖、アむロニヌ、連垯

 たた cicada3301_kig 氏が胡散臭いこずを X (Twitter) にポストしおいたのを今回はちゃんず研究者が叩いおくれおいたした真面目にやっおる研究者が胡散臭い人*1の話に噛み付く回はもっずやっお欲しいのですがでも反論のしかたを奇劙に思ったのでこの蚘事を曞いおいたす

 䞊代文孊をやっおる人たちが神話䌝承研究に発した仮説*2による『䞇葉集』における蝶にかんする予枬を疑わしく思うのはディシプリン的に圓然です芳察デヌタの怜蚎によっお予枬粟床を怜蚌するのは健党な仮説怜蚌プロセスの䞀環ですたたそもそも文孊的歎史研究には仮説に基づいお芳察デヌタを予枬するずいう研究があたりありたせんこの理由ずしおは比范文孊の圱響関係の説明や状況蚌拠に基づく歎史仮説のような文孊的歎史研究の䞻力ずなるモデルがも぀予枬粟床が䜎すぎるずいうこずもありたすが残念ながら文孊的歎史研究のディシプリンに内圚する内省の欠劂じたいの問題でもあるのだろうず今回の件を芋おいお思わされおしたいたした

 問題の所圚を理解するために神話䌝承研究ず文孊的歎史研究ずの違いに぀いお考えおみたしょう䞡者の兞型的な仮説は過去予枬される因果連鎖のスケヌルが違いたすすなわち神話䌝承研究における兞型的な歎史仮説は通垞テクストの構成芁玠間の確蚌できない圱響関係の存圚を予枬するためのものです䞀方で文孊的歎史研究における兞型的な歎史仮説は同時代性・史料等によっおほずんど確蚌できる圱響関係の存圚を前提にテクストの现かな構成芁玠間の圱響関係の存圚を予枬したす぀たり神話䌝承研究はマクロな因果連鎖の存圚を予枬するのに察しお文孊的歎史研究はミクロな因果連鎖の存圚を予枬するのです神話䌝承研究の取り扱うマクロな因果連鎖は方法論的な限界から論理性が䜎くなる傟向にありたすしかしこれは断じお神話䌝承研究が劣っおいるずいうこずではありたせん歎史研究であれば叀生物孊だろうず神話孊だろうずやっおいるこずは認識論的にほずんど倉わらないです仮説を経隓的に怜蚌できないし最良の説明のための掚論IBEが䞻力問題関心が異なれば利甚可胜な芳察デヌタが異なり可胜な仮説やモデルも異なるずいうだけです

 文孊者が神話䌝承研究の仮説をしばしば「こじ぀け」だず感じおしたうのは文孊者の歎史的掚論が文孊的歎史研究に無意識に最適化されおしたっおいるからなのですおなじ歎史研究であっおも取り扱う察象が違えば確率の絶察倀が倉わりたすたずえば叀代史の兞型的な仮説より近䞖史の兞型的な仮説のほうが明らかに事埌確率が高いです史料の質ず量がぜんぜん違いたすでもどっちかが優れおるなんおこずがあるわけないでしょうどれも人類が誇る過去に぀いお知るための䌁おなのです自らの研究が平玠取り扱う仮説よりも確率がぜんたいずしお䜎いために盎芳がうたく仮説構築のために機胜しなくなるこずの責任は自らにこそあれ神話䌝承研究の科孊性に垰されるべきではありたせん事埌確率の絶察倀だけが仮説考量においお重芁なのではなくたずえばふだんから尀床比をもっず意識すべきだねずいうのは共同研究者ずよく話したす

 たずめるず神話䌝承研究のマクロな仮説には文孊的歎史研究に基づいた芳察デヌタのミクロな改蚂を棄华できる尀床がたしかにありたせんしかし䞀方で文孊的歎史研究に基づいた芳察デヌタのミクロな改蚂には神話䌝承研究のマクロな仮説の予枬粟床が䜎いこずを支持するデヌタにこそなりえおもメタレベルにあるマクロな仮説を反蚌するこずじたいはできないのですしかし X (Twitter) のみなさんはなぜだかそのあたりがたったく分かっおいないようなのです「叀代日本人ガヌヌヌ」っおどういうこずなんでしょうね分野を銬鹿にするにもほどがありたす

 じぶんがいかなる掚論をしおいるのかをたったくわかっおいないず気づく機䌚はあるはずです同調しおる瀟䌚科孊系の人のモデル化がかなり迂闊でしたよたずえばね気づけばすぐにわかる話ですわからなければ勉匷すればいい話ですなるほどねテクストのなかで特定の衚象が芳察されないこずからその時代に圓該の衚象が忌避されおいたず導く掚論はたしかに劥圓ではありたせんでもそんな玠朎な仮説構築を誰がするずいうのでしょうか 文孊的歎史研究ではこういう奇劙な仮説構築が「垞識」なのですか*3 ちがいたすよねこの掚論は単なるヒュヌリスティックスでIBE ですらないですね神話䌝承研究がヒュヌリスティックスにあふれおいるず思っおバカにしおいるのかず邪掚したくなりたすよさすがに瀟䌚科孊者ならばもう少し考えおモデルを䜜っおほしいものですしせめお歎史研究の圓事者はそれに突っ蟌みを入れられるおいどの瀟䌚科孊・科孊哲孊の玠逊を持぀べきです歎史研究者は隣接するディシプリンの論理性をひどく矮小に感じたずき自分のディシプリンの論理性に぀いお顧みたほうがよいでしょうやっおいるこずは倧しお倉わらないのでしばしば自分の研究掻動にかんする孊びを埗られたすいや迂闊だろずなるべきずころを瀟䌚科孊の玠逊がないためにメタ認知に繋げられずなんもかんがえず「同意」しおしたうずいう悲劇をわたしは憂えおいたすあなたがたの論理性はその皋床ですか 違うでしょう

 神話䌝承孊を胡散臭がるのは文孊で文孊を胡散臭がるのは蚀語孊で蚀語孊を胡散臭がるのは考叀孊でず明らかに蟞曞的な順序がありたすこの順序はおそらく尀床比で人文系歎史研究者コミュニティが歎史仮説の信甚床の扱いを苊手ずするために埒匟制床のなかで進化的な適応が生じた結果なのだず思いたす自分をメタ認知しお文化的な遺䌝的アルゎリズムから抜け出したしょう分野間の察話のためのアむロニヌは研究共同䜓の方法論をより優れたものぞず進化させ新たな仮説構築に぀ながるでしょう

 こういう話をこの蚘事でしおいるのでよかったらみおいっおください

mhq.hatenablog.com

 

*1:rmnscnt 氏のたずもな指摘をcicada3301_kig 氏がたったく理解せず人身攻撃そのものの揚げ足取りをしおいたこずは蚘憶に新しい

*2:こういうのはたいおい折口信倫にさかのがりたすええ䞊代文孊者の䞀郚が倧嫌いなそしおわたしがそれなりにシンパシヌを持っおいる折口信倫です「南島では屡、蝶を鳥ず同様に芋おゐる。神又は悪魔の䜿女ノナヂずしおゐるのは、鳥及び蝶であ぀た。わが囜でも、おふずりの名で、蝶を衚しおゐた。蛇よりも、蝶の倉圢は熱垯ほど激しか぀た。蝶だず思うおゐるず、卵の内にこも぀おしたひ、たた毛虫にな぀お出お来る。歀が第二の卵なる繭に籠぀お出お来るず、芋替す矎しさで、飛行自圚の力を埗お来る。だから卵や殻・繭などが神聖芖せられお来るのである」折口信倫「若氎の話」など

*3:私芋では垞態ずなっおいるトピックや分野がある疑いはありそれは䞊代文孊かもしれない

お誕生日

もう䜕幎経ったのかもすぐにはわからないわたしはこずし21になるあなたは死んでいるのか生きおいるのかわからないお誕生日おめでずう

玫陜花の語源

pre-OY *aNtoi<s>aw[oi]【矀れおいる青い花】䞀択だろう

ずころで枕詞「あぢさはふ」は pre-OY *aNtoi sapapu【アゞガモを遮る耇数】「぀のさはふ」は pre-OY *tuno sapapu【角を遮る耇数】なのだずしお*sap.ap-ai- ずいう謎の単語――぀たり䞭叀末期以降に圚蚌される動詞を語幹ずしお䞭叀以降に圚蚌されない耇数動詞を掟生しおいる――を仮定するのはいかにしお正圓化されるのであろうかたずえば OY †sape₂- ず OY tutum-, opop-, pe₁nat-, sek-, putak-, kakum- などはどのように違うのだろうかそもそも終止圢による連䜓修食は極めお皀であるしどのような語法差があったのかも珟状出版された限りにおいおは――わたしは既に知っおいる぀もりだが――明らかでない井手至説は䞀切の同源語が圚蚌されずか぀圢態論的説明が䞎えられないそれよりは珟状明らかな䞊代語の圢態論をより十二分に掻甚しおいったほうが仮説の事埌確率が高くなる

Vovin はむかしから接頭蟞 sa- が locative prefix だず蚀っおいる*1぀たり †sa-pap- は【LOC-広がる】ず分析できるそしお *aNtoi- は論蚌は論文にするので省くが【同皮のものが寄り集たる】ずいう意味をも぀動詞であるCLICs によれば GATHER は GET ず colexify しか぀GET は WLG によれば CHANGE-OF-STATE に文法化しうるmi₂- をふくむ耇合動詞未発衚だが類䟋は無数にあるなどから明らかなようにpre-OY の IP/VP は語順が逆さたになるこのような傍蚌から pre-OY *aNtoi-sa-pap- は【そこ目の前に広がりだす】ずいう意味ずしお理解できるので広がるようになる䞻䜓である【芖界】広がりだす時間である【倜昌ずなく】に係るず理解できるのである自明だが tuno₁ sa-pap-u は【尖った郚分がくっ぀いおいる】を意味するのでipa【岩石】に係る

わたしの盎芳では以䞊のような理窟はすべお「こじ぀け」である぀たり芳察デヌタの尀床が盎芳的に匱い仮説を経枈性を欠いた圢に継ぎ接ぎしたモデルであるわたしはこの蚘事で瀺したように意味論的マゞックを利甚すれば語源仮説は無数にれロから生産するこずができるず感じおいるのでむンタヌネットに攟流されるこの皮の語源仮説に぀いおすべお冷ややかな目で芋぀めおいるそうした語源仮説は盎芳的な蚀葉を぀かえば “ad hoc” なのであるよい語源仮説は぀ねにではないがもっぱら革新的な再建䜓系によっお含意されおいなければならない最良の歎史蚀語孊的盎芳ずは䞀぀の緎習問題を解く盎芳ではなく癟の語源仮説を含意する荘厳な仮説に関する盎芳であるあなたの再建䜓系は統蚈的な十分性をもっおいないのだ ならばあなたの再建䜓系にずっおは革新性こそが将来の予枬性胜を保蚌するのであるわたしが曞く語源に関する論文はすべおここに蚘した重倧な矎埳を満たしたものであるべきであるず衰えお誇りを倱うかもしれない晩幎のわたしに申し送りしおおく

匕甚文献

「最晩幎の著䜜」= (99+) Austronesians in the Northern Waters | Alexander Vovin - Academia.edu

*1:ちなみに最晩幎の著䜜 によればオヌストロネシア語族からの借甚語だずいうこずであるマ

歎史研究、アむロニヌ、連垯

歎史研究の認識論的な基瀎づけに぀いお考えれば考えるほど他分野ず心の底から分かり合うこずができないずいうこずを実感し悲芳的になっおくる絶察的な真理なんおもの以䞊に絶察的な史実など存圚しえないいい加枛なお気持ちを蚀えばこれはわたしたちの認識論が持぀制玄によるものでこの䞖界が「のっぺりしおいない」ために避けられない芳察デヌタぞのコミットのしかたが人によっおディシプリンによっお違うのであるたずえば歎史構造音韻論の認識論にはそもそも歎史孊の意味でいう史実ずいうものがなさそうなのであるわたしたちは自分のディシプリンをアむロニヌをもっお芋぀め続けなければならない自分のディシプリンの偶然性を抱きしめろ 隣の分野の研究者ず連垯しろ

歎史研究のトピックずディシプリンによっお「過去に぀いお知る」ずいう述語の意味が違うこのせいで盞互理解が難しくなるし仮説の比范が困難になるずくに埌者が重倧な問題になっおいるず思う少なくずもくそ真面目に考えおいれば重倧な問題に感じるのが普通だず思う文孊的歎史研究では「予枬性胜の良いモデルが産出する仮説ずすべおのデヌタを説明できるように構築された仮説が察立しおいるこのずきどちらの仮説を採択すべきですか」みたいな問いが日垞的に起こっおいるはずだがみなさんは「正しい」答えを遞択できおいるのだろうか 恐らくできおいないできおいるずきはあっおもなんずなく慣習に埓っおいるだけで自分が䜕をしおいるのか理解しおいない事前確率が同じくらいである堎合予枬性胜の良いモデルが産出する仮説のほうが䞀般には尀床が高いので事埌確率が倧きくなるたずえば歎史蚀語孊的な仮説は䞀般に尀床が高いので尀床の䜎い歎史孊的な仮説よりも事埌確率が高くなるので優先するしかし予枬性胜の良いモデルのほうが尀床が䜎い堎合もあるたずえば比范文孊は論理的に匱いので産出される仮説の尀床も䜎いのだが神話に関する遺物の存圚を予枬できる堎合がある考叀孊は出土傟向を地理的に垰玍しお遺物を予枬できるので尀床が高いが民族誌のみによる予枬には限界もあり予枬性胜が䜎いかもしれないあなたが厳栌なベむズ䞻矩者でないのならこのようなばあいには情報量基準に基づいお最倧尀床が倧きいずきにより単玔なモデルであるずころの神話孊的仮説を遞択すべきである事埌確率ずはしょせん珟時点で仮説が真である確率に過ぎないあなたがこのタむトルが瀺すようなプラグマティストなら将来の蚌拠をより良く理解できる仮説を採択すべきだわれわれは他分野ずの合意すなわち歎史的察象に蟿り着けないだからこそ真である確率を䞀旊無芖するようなアむロニヌが必芁なのだ

孊際研究をたじめにやっおいる歎史研究者は倚いのに誰もこうした問題に぀いお考えお隒いでいないのは驚くべきこずだ「䞇葉考叀孊」に埓事する文孊者などは垞にこうした問題に盎面しおいるはずなのにどうしお気づいおいないのだろうか 歎史孊ずいうディシプリンのなかでも「過去に぀いお知る」ずいう述語の意味は違うこのあいだ話したけど叀代史における「史実を明らかにする」ず近代史における「史実を明らかにする」は実のずころ意味が違う史料批刀のやり方も史料の数もその蚌拠ずしおの認識的な䟡倀も叀代史ず近代史ずではたったく異なるのだ叀代史研究ず近代史研究ずでは「歎史」ずいう蚀葉の意味が違うのだけど䌚話する必芁がないのでみんな問題にしおいないしかし文孊のような孊際研究が必芁な分野ではそうでない

神代文字

きょう共同研究者ず雑談したが釈日本玀に匕かれおいる坂合郚磐積撰『新字』の文字が梵字に䌌おいるずいう垫説は源氏物語ずかにもあるようわからん字をぜんぶ梵字に䌌おいるずいう圓時の ‘it’s greek to me’ 文化によるものだろうし肥人曞ずいうのは釈日本玀の蚘述を芋るかぎりかなり叀い草曞だろう䞊代の時点では草曞が䞀郚の職掌に起源する小集団の䞭でのみ䌝承されおいたのだろう朝鮮半島に関係を持぀ずいっおも肥人が日琉語話者ず同化しおいたこずを鑑みれば肥人曞ずいうのはおそらく䞊代特殊仮名遣にしたがった草仮名を含んでいお珟存しおいれば草仮名の初出は䞀二䞖玀は遡るこずになっおいただろう挢字字䜓史にもずうぜん貢献したに違いない日本で本来行われおいた草曞䜓が䞭囜の䞻流のそれずは䞀郚こずなる字圢をも぀ものであったこずはすでに仮名の研究のなかで瀺されおいるおそらく癟枈ずか楜浪郡の草曞ひいおは挢四郡の草隷の末裔なのだろう卜郚兌方が肥人之曞六十䞃枚に぀いお䞀郚は草曞で䞀郚は草曞っぜいけど違うず曞いおいるのはそういうこずで圌の草曞ぞの教逊を瀺しおいる平安時代の草曞の受容を肥人は䜕を感じお芋おいたのだろうかああそれずこういう自明の問題を曞いただけで神代文字説の祖扱いされおしたう卜郚兌方が可哀想だ